2011年01月12日

「無音」

私の耳は全く聞こえない。生まれつきだ
音の無い事も普通に日常の暮らしで 不自由を人が思うほどは感じずに生きてきた。
両親も 妹も 私に対して普通に接してくれて
可哀想だと思う事さえ無い幸せな人生だった。

私は19歳に成っていた。
高校を卒業と同時に町の役場に就職出来た。来年は成人式を迎えるに
当たり母は私のために絞り染めの赤い振り袖を呉服屋へ
注文してくれていた。きっと随分無理をしてくれたのだろうと
ありがたく思う、妹は「お姉ちゃんの私はお古でしょお母さん」と言ってたが
出来上がってきた振り袖を見ると「わあ!綺麗、お姉ちゃん二人の着物やね」

私は手話で「そうよ」と答えた。
この幸せがずっと、ずっと、続くと信じていたのに・・・・
それはある日突然やって来た。
役場の仕事が終わり 母へ今から帰ると携帯でメールを入れた
就職してからの習慣になっていたからだ。

母からはいつもメールを直ぐに返してくれる「お疲れ様 気を付けてお帰りや」と
決まった様なメールでもお互い安心感のような物で
この日も携帯を手に待ってたが・・・
母からメールが来ない(どうしたのかな?)
珍しいと思ったが気にも止めなかった花屋に寄って赤いバラを買って家へと帰った。

鍵を開けて家の中へ入った。
電気が付いてない誰もいないのとキッチンへと向かった
足にヌルっとした感触何これ
キッチンがむちゃくちゃに荒らされていて母の姿もない
私はどうして良いか分からずその場に座り込んだ、見慣れた母の靴下が
目に入った。
私は這ってその靴下の側へと近づいていった「お母さん」
母が血に染まった姿で身体を横にして倒れてる
私は音のない声で「お母さん、お母さん、お母さん」を何度も叫んでいた。

携帯で父に連絡した。妹にも連絡した。どっちもメールが来ない
隣のおばさんの家へ飛び込んでいった。
おばさんは、直ぐに救急車を呼んでくれていたと思う
何が起きたのか頭の中が混乱していておかしくなりそだった。
警察が私に何かを言ってる 私は耳が聞こえないと携帯のメールで教えた。
これが悪夢の始まりだった、新聞の見出しには"一家惨殺事件"
残されたのは私一人                        続く


posted by 桂のたまご at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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